2005年06月27日

重大性って何だろう?

 先週、15歳の少年による事件が2つ相次いだわけで、世の中のコメンテーターさん、(マスコミ御用達の)心理学者さんがいっぱい出てきたわけですが、こういう少年事件になると必ず出る言葉があります。「事件の重大性が認識できていないようだ」という言葉。ふと思ったのですが、この「重大性」って何でしょう?
 例えば、例の両親殺害の事件に関しては、今朝の朝日新聞に以下のような文章が載っています。
 逮捕後、長男は涙を見せていないと言う。捜査幹部は「両親を手にかけたという事実、罪の重大性をまだ認識できないでいるようだ」と話す。

 この捜査幹部は、何を持って「重大性を認識していないか」というと、涙を見せていない、っていうことになりますよね。しかし、「涙を見せた=重大性を認識」と短絡的に考えるのもどうかと。あんまり重大過ぎて涙も出ないほど呆然としている、なんて可能性もあるわけですし。まぁ、涙を見せて謝罪の言葉を連発する、っていうのは「反省しているかどうか」が量刑に大きく関わる日本において「減刑のための重要な手段」とも言えます。減刑のための手段を使う、ということは、罪の重大性を理解している、とは言えますが、それが果たして良いことかどうか…。
 更に言うと、犯罪の後、犯人が何かをやっていた…なんていう場合、「事件の後も平然と○○するなんて、なんて酷い奴」くらいに扱われるのですが、私はそれも違う気がするんですよね。例えば、テストの前に妙に部屋の掃除をしたくなったりする、なんてことありません? これって、勉強という重大な事実を目の前にして、それに耐えられないから他の事をして気をそらしている、とも言えるわけですよね。同様に、何か事件を起こした後に娯楽施設に言ったとかっていうのも、重大性に気づいたからこそ目をそらそうとしてそういう行為に走った…なんて言う風にも思えるんです。重大性を認識してどういう行動に出るか、なんて人それぞれだと思うのですが。
 私は、基本的に犯罪の量刑に、犯人が重大性を認識しているかどうか、犯人が反省しているかどうか、なんてものを加えるべきじゃないと思っています。そんなものは、誰にも測れませんからね。演技力と感情論で決まるなんていうのはおかしな話ですからね。純粋に、「何をしたのか」によって決められるべきじゃないか、と思っているのですが。




posted by まえとも at 06:42| クアラルンプール ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 事件記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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