2005年06月09日

キレる(2)〜主語は誰?〜

 昨日の記事で「キレる」の辞書的な意味を引用しました。「突然怒ったり,見境がなくなることを,俗にいう語」とのことです。さて、この文章を見て思うことがあります。「突然怒ったり,見境がなくなる」と言うのは「誰から見て」なのでしょう? 細かいツッコミに思えるかもしれませんけれども、これって物凄く大事なことだと思うのです。
 よく重大事件などが起きると、犯人の動機などが取り上げられて、「私には理解できません」などというコメンテーターが出てきます。確かに、第三者からは「理解できない」ことでしょう。でも、本人にとっては、極めて理屈通りのことなんですよね。
 これも昨日だした例文なのですが、「あいつは、ちょっとからうとすぐにキレる奴だった」。これを使って考えてみたいと思います。
 これ、誰にとって「ちょっと」なのかと言えば、コメントを述べた本人。つまり、からかった側ですよね。からかわれた側、つまり「キレた」側からすればちょっとじゃないということは多々あるでしょう。コンプレックスに思っていることだとかをからかわれれば誰でも腹が立ちます。(例え第三者から見て、それがおかしくとも)本人がコンプレックスだと感じていれば、それはコンプレックスです。それを突いておいて「ちょっと」もクソもありませんからね。
 現在は、テクノロジーの発達だとかで、価値観だとかは専門化・多様化しているわけですから、第三者がどうこう言うのは難しくなっていますし、今後、どんどん難しくなるでしょう。数年前、実家に置いといた漫画雑誌を親が勝手に処分したことに腹を立てた子供が、親を相手取って損害賠償・慰謝料請求なんて事件ありました。これ、親にとっては無価値でも、子供に取っては極めて大事なものだった、ってことだと思うのですが、これって漫画に価値があるかどうかを争っても仕方の無いことなんですよね(客観的に値段はつけられるでしょうが、意味があるとは思えません)。他人の価値観に客観的評価なんかつけられるはずがないですから。もし、私が親の弁護士をしていたのならば、実家に置いておく(投棄した)なんていう方向性で勧めるでしょうね。
 なんか、大分、話が逸れましたね。
 まぁ、一言で言えば、第三者が見て理解できない事項っていうのは、どんどん増えているっていうことです。第三者から見て理解できない理由で激怒したりすることを「キレる」と言うのであれば、「キレる」人が増えるのは当然だということです。しかし、それは極めて自然なことなのであって心配するようなことではない、という風に思います。
posted by まえとも at 10:46| クアラルンプール ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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