2005年07月23日

「標的」って…

<ソフト規制>松沢・神奈川県知事のブログに批判殺到

 松沢成文・神奈川県知事のインターネット上の日記風サイト「ブログ」に、ゲーム愛好者らからの批判が殺到している。6月1日の開設とほぼ同時期に、全国に先駆けて残虐性を理由に一部のゲームソフトを有害図書類に指定したことが反感を買ったためだ。開設からわずか50日間でアクセス数は8万件に迫る勢いで、書き込み件数は600件に上るが、その大半が「根拠があいまい」「暇があるならコメントを読め」などの規制批判になっている。
 ブログは「松沢しげふみ タックルレポート」で、県政の課題や日常感じていることを題材に1週間に1回更新している。同県の審議会は5月30日、主人公が銃で周囲の人たちを次々と殺害していく米国製家庭ゲームソフト1本を、県青少年保護育成条例に基づき有害図書類に指定、18歳未満への販売や貸し出しの禁止を打ち出した。このためブログは開設直後から格好の”標的”となり「指定根拠があいまい」「ゲームが犯罪行為を助長するという科学的根拠を示せ」などの反対意見が殺到した。
 松沢知事は「一つ一つに返事はできない」として7月7日に見解を示したが、255件のコメントが寄せられた。これに対し翌週「記者会見での発言を確認してほしい」と記載すると、新たに約100件のコメントがあった。14日に松沢知事が全国知事会議で、同様の規制を全国に広げるよう提案すると、批判はさらにエスカレートした。
 ジョギングやラグビーを取り上げた日記(13日)も「ジョギングする暇があるなら、ゲーム規制についてのコメントを読んで」「近年、体育会系学生の犯罪が多い。スポーツ教育も見直さなければ公平性に欠ける」などとゲーム規制に関連付けて批判されている。先週のアクセス数は2万6000件を超す。
 知事の中でブログを開設しているのは、松沢知事と高知県の橋本大二郎知事の2人だが、橋本知事への書き込みはごくわずか。松沢知事は「内心、こんちくしょうと思う意見もあるが、多様な意見をいただくのは良いこと。ブログは絶対やめません」と一歩も引かない構えだ。【足立旬子】


 私自身、松沢氏のこの規制に関する記事に対して批判の記事を書いたり、はたまた松沢氏の記事に批判コメントを残したりしているわけなんですけど、なんかこの記事を見るとこっちが悪者に見えるから困ったもんですな。まぁ、松沢氏の記事のパロディ作ったりした人間が言うのもどうかとは思うんですが、明らかにそのコメントはど〜なのよ、っていうものが松沢氏のところで見うけられるのは確か。ただ、それはネットであるからには仕方が無いと思うんですよね。むしろ、こうなる原因を作ったのは松沢氏自身じゃないの? というのは思いますし。
 以前の記事にも書いたとおりに、松沢氏の回答っていうのは明らかに「はぐらかしているだけ」のものばかり。先日の「知事会」のレポートに対しても、批判コメントは書きましたけれども、それは自ら「科学性は証明されていない」と認めているのに、「ゲームの悪影響を鑑みると規制するしかない」というのはどういうことだ? ということですし。回答をのらりくらりとはぐらかして、全く関係の無いところに持っていくのを批判することはおかしいのか? という風に思うわけです。
 ついでに言うと、この記事を見ると、思いっきり印象操作がされていますよね。これまでの知事の回答だとは一切無く、「このためブログは開設直後から格好の”標的”となり」なんて言葉。いかにも知事が真面目に回答しているにも関わらず、ゲームヲタクがクレームをつけまくってるように見えるもん、これじゃ(笑)
 「一歩も引かない構えだ」って、これ以上引かなくて結構だから、真正面から回答してくれ、ってのが、松沢氏の記事に批判を書いている人の本音じゃないのかな?

 あ〜…そうそう、多少は関連するかと思うんで書いておきたいんだけれども、「ゲーム脳」の森昭雄って、医師免許を持っていないわけですよね。そもそも、日大文理学部体育学科、日大大学院文学研究科卒だし。でも「医学博士」「日大教授」って肩書きを使い、多くの人に対して色々と「○○しなさい」とやっている。
 こないだどっかの自称「薬学博士」の宗教家が薬事法違反で捜査を受けたのと同様に、彼も「医師法違反」っていう可能性があるんじゃないかな? かなりきわどいと思うんだけどねぇ…。
posted by まえとも at 16:37| クアラルンプール ☁| Comment(49) | TrackBack(8) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月07日

これが「回答」かよ

ゲームソフトの有害図書類指定をめぐって

神奈川県が実施した「ゲームソフトの有害図書類指定」について、多数のご意見をいただいております。また、この問題については、現在開会中の神奈川県議会でも議論が行われております。このブログでは、最初におことわりしたように、個々の意見への返事はできませんが、この問題には数多くの反響が寄せらておりますし、昨日、議会での議論も終わりその意見も伺うことができましたので、以下、私の考え方を述べさせていただきます。


私も、過去、何度か書いてきた神奈川県のゲーム規制条例に関して、松沢成文神奈川県知事が自らのブログでそのことについての意見を書いていたので、久々の更新はそれについて。
タイトルを見ればわかるように、「回答になってねぇよ」という風にしか思えない。

松沢知事は「審査のありかた」「効果への疑問」「悪影響があると証明されたのか?」という3点を中心に述べているのですが、これが凄い。

まず、審査のあり方について
その際、ゲームソフトは通常の雑誌などとは違い、ゲームを操作し先のシーンへと進んでいく中でしか新たな場面が現れてこないという特徴があるので、ゲーム操作の上手な職員に実際にゲームをやってもらい、それをビデオで撮ったもので審議していただくという手法をとったものです。審査委員が判断するにあたって、必要な情報は整理しお示しできたと考えています。

っていうんだけれども、多くの人が疑問に思っていることは、そうじゃないんですよね。「ゲームに悪影響がある」と述べる人の一番の理由は「自分で動かすから」なんですよね。職員にやらせたビデオを見て…では結局、ビデオを見ているのと変わらないだろう、って話です。そこが問題点なのに、「必要な情報は整理して示した」って…。ゲームに悪影響があるのは、「自分でやるから」と言っているのに、「自分でやってみた感想」という一番大事な情報を無くしてどうするんでしょ? ついでに言うと、この映像はなんと僅か10分の映像とのこと。明らかにこれが足りないのは理解頂けると思います。

続いて、規制の効果について。
次に、規制の効果です。確かに本県だけで規制しても、効果が薄いのは事実です。そこで、現在、首都圏の3都県(東京都・埼玉県・千葉県)に対して、同一の対応をとっていただけないか、働きかけているところです。

これも思いっきり論点がズレていると思います。
次の悪影響の証明とも重なるのですが、ゲームを規制したところで、子供が健全に育つのか? という点での指摘が、松沢知事のブログに書かれた反対意見の殆どです。ところが、松沢知事の回答では、「神奈川県だけで規制しても東京とか行けば買えるのでは意味がないから、他の都道府県にも働きかけてる」というもの。規制ありき、っていう思考が透けて見えるのですが。

そして、悪影響の証明に関して。
次に、青少年への悪影響の証明が必要ではないかとのご意見です。これまでも、ゲームソフトによるプレイを長時間行うことが、子どもの脳などに少なからぬ影響を与えることについて、いくつかの調査結果があるものの、残虐性の高いゲームが犯罪を誘発するかどうかの科学的証明は、まだ行われていないことは事実です。しかし、先日の東京で発生した両親殺害事件で、加害少年が今回指定したゲームソフトの愛好者であったという報道もあります。

なんと、科学的に証明されてないけど、規制しちゃいます、っていう凄い話。しかも、その根拠にマスコミ情報をいれて印象捜査をするという姑息さ。ここでは書かれていないのですが、ゲームをやることで、良い影響を与える、という報告もあります(科学的に証明されてはいないと思いますが)
この論拠で規制するのであれば、私が常々言っている、部活動廃止論も推進していただきたいところ。最近頻発している、スポーツ選手の性犯罪であるとか、理由はいくらでもつけられますよ。結局、ここで松沢氏がしているのは、「俺様が悪いと思うんだから規制するんだよ」と強調しているに過ぎません。

私は基本的に「青少年の健全育成」という言葉は、便利だけれども何の意味も無い言葉だと考えています。だってそうでしょ? 「青少年の不健全な育成を推進すべきだ!」なんて奴、いるわけないもん(笑) 戦争だって大義名分としては「平和のため」と出てくるわけでしょ? それと一緒。
最後の締めが「青少年の健全育成」なんていう時点で、具体的な展望に欠ける感情論、と私には思えてなりません。
posted by まえとも at 22:57| クアラルンプール ☁| Comment(14) | TrackBack(3) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月22日

「したせい?」「しないせい?」

「人生き返る」「自分不死身」 県内小中学生2割が回答

 兵庫県内の公立小中学生の約二割が「死んだ人は生き返る」「自分はたぶん死なない」などと考え、ゲームやパソコンに接する時間が長い子どもほどその傾向が強いことが、教員や専門家らでつくる「兵庫・生と死を考える会」の調査で分かった。小学校高学年から中学生にかけて自分を肯定する気持ちが低くなり、自殺などへの共感度が高まることも判明。同会は結果を県教委に提供、同教委は児童、生徒に命の大切さを伝える教育プログラムに生かす。(宮本万里子)


 「まえともが記事にするだろうな」と思っていた人、あなたは鋭い(阿呆) 勿論、いちゃもんをつけさせていただきます。
 ま、この手の話題では、以前、長崎県のやった調査が、明かにおかしな選択肢が混じっていたりと問題の多いものだったわけで、兵庫県の場合もあんまり信用できないもんで…。
 で、調査の詳細を知りたいので、調査をした兵庫・生と死を考える会のHPに行ったのですが、詳細は有料でパンフレットを送ります、とのことだったので見ていません。なので質問内容、数字などはわかりません。その上で、話を進めます。
 まず、これはいつも通りの確認事項ではあるのですが、分母・分子などを考える必要があります。仮に「3時間以上ゲームをする人」の中で「死んでも生き返る」と回答した人が2割いたとしても、「3時間以上ゲームをする人」が5人だったらどうでしょう? 殆ど信憑性はないと思います。具体的な数字を出さずに言われているのは、こういうことがあるので信用できません。
 と、その上で、もう1つ思ったのが、「長時間のパソコン・ゲームが生死感を希薄化させる」というような見出しになっているのですが、これは逆も考えられないだろうか? という点です。統計学的にも信頼できる数で「PC・ゲームを長くやっている人ほど、生死感が希薄」となったとします。しかし、これを逆に見ることもできないでしょうか? この調査では「3時間以上」がキーワードになっているわけですけれども、「3時間以上PCやゲームをやっている」ということは、言いかえれば「3時間以上、PCやゲーム以外をしていない」ということでもあります。「PCやゲームの影響で生死感が希薄になる」というのと同じように、「PCやゲームをすることで行えなかった何かの影響で、生死感が育つ」という可能性もあるのではなかろうか、というわけです。まさか、PCやゲームをしていない人が、その時間、ぼーっと何もしないでいる、ということはないでしょう。質問事項の具体的内容はわからないのですが、選択肢方式では具体的な生活パターンの全てが判明するとは思えません。そうすると、逆パターンも考えられるように思えてならないのです。

 ええ、かなり強引な理論展開なのは自覚していますよ。




posted by まえとも at 23:17| クアラルンプール ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月19日

「うちの番組全て」くらい言ってみろ

民放連が「青少年に見てもらいたい番組」を発表

 日本民間放送連盟(日枝久会長)は16日、「青少年に見てもらいたい番組2005年春」を発表した。全国の民放各局が、自局か系列局の番組から、それぞれ10番組程度を選んだ。

 在京5社の「おすすめ」は、「伊東家の食卓」(日本テレビ)、「どうぶつ奇想天外!」(TBS)、「発掘!あるある大事典(2)」(フジテレビ)、「ドラえもん」(テレビ朝日)、「ガイアの夜明け」(テレビ東京)など。


 ちなみに、一覧はこちらです。

 以前に、PTAが「見せたくない番組」を発表したときと同じ態度ではありますけど、個別の番組に関して「これはどうだろ?」とか茶々を入れるのはやめておきます。言い出すとキリが無いし(笑)
 ただ、これを見てまず最初に思うのは…「それしかないのか?」ってこと。いや、例えばPTA調査で「見せたい番組」1位の「プロジェクトX」に関しても、「あれはやらせ」だの何だのって議論が沸騰しているのは知っていますよ。個人的に、それが良いのか悪いのか判断する気はありません。ただ、「青少年に見せたい番組を挙げてください」と言われて、「うちの局で放送している番組全て」くらい言って欲しいわけですよ、私は。「これと、これと、これ」なんて言ってるってことは、言いかえれば、「それ以外は、お勧めできない」って言ってるのと同じでしょ? それってどーなのよ、と(笑)
 もう1つ。一覧の方を見ていて思ったのが、エラく時間帯が偏っているなぁ…と。例えば、関東キー局(TBS、日本テレビ、テレビ朝日、フジテレビ、テレビ東京)が挙げた29番組のうち、15が日曜日、7が土曜日。つまり、22までが土日なんですよね。流石に、時間帯はゴールデンと言われる時間が多いですけど、TBS『クボジュンのえいごっこ』(5:45〜6:00)とか、テレビ朝日『素敵な宇宙船地球号』(23:00〜23:30)みたいに、本当に「子供に見せたい」のかとツッコミ入れたい時間帯の番組もありますしねぇ…。
 こういうものを見ると、なんだかなぁ…と思わざるを得ない私なのでした。

 ちなみに、個別批判はしない、と書いた私ですが、一つだけすげぇな…と思ったものを。
 千葉テレビ『(Jリーグスペシャル)ジェフスタ/Can.Do!レイソル』。千葉県民は、他のチームの応援はしちゃいけないと?(笑)




posted by まえとも at 19:05| クアラルンプール ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月16日

猥褻性って何だろう?

漫画のわいせつ性めぐる裁判、二審も有罪 罰金刑に

 露骨な性描写がある成人向け漫画「蜜室(みっしつ)」を売ったとして、わいせつ図画頒布の罪に問われた出版社「松文館」(東京都豊島区)社長・貴志元則(もとのり)被告(56)の控訴審判決が16日、東京高裁であった。漫画本がわいせつ物にあたるかが公開の法廷で争われた初のケースで、田尾健二郎裁判長は一審と同様にわいせつ物と認めた。一方、量刑判断のなかで「DVDなどの実写表現に比べるとわいせつ性は低い」と情状について考慮。懲役1年執行猶予3年とした一審・東京地裁判決を破棄し、罰金150万円を言い渡した。


 いわゆる、松文館裁判って奴ですな。結構、この裁判に関しては私も注目をしているので、この記事に関して思うことを。
 神奈川県のゲーム規制なんかとも、基本的には共通した感想なのですが、こういう「猥褻性」にしても「暴力性」にしてもそうですが、その「基準」は何だろう? という根本的な疑問が浮かぶんですよね。

 判決は、昨年1月の一審判決の判断手法をほぼ踏襲した。51年の最高裁判決が示したわいせつの定義である「(1)いたずらに性欲を刺激し(2)普通人の正常な性的羞恥(しゅうち)心を害し(3)善良な性的道義観念に反するもの」を引用。そのうえで、「蜜室」がこの定義にあてはまるかどうかについても「四畳半襖(ふすま)の下張事件」の最高裁判決(80年)が示した、性描写の作品全体に占める比重▽芸術・思想性による性的刺激の緩和の程度――などの判断基準に沿って検討した。


 とのことなのですが、客観的な材料としては「性描写の比重」くらいなものでしょう(もっとも、これだって1シーンだけ滅茶苦茶濃い描写がされている作品ならOKなのか? ってことになりますけどね)。それ以外は、裁判官の主観に基づくものでしかありません。
 (1)いたずらに性欲を刺激し…って、どういうので性欲を刺激されるのかは人それぞれでしょ。(2)普通人の正常な性的羞恥心を害し…まず、普通人っていうのは何でしょう? 正常な性的羞恥心って何でしょう? 「普通」だの「正常」だのっていうのは、かなりあやふやなものです。私の普通と、あなたの普通は別物であってもおかしくはありません。結局、「裁判官の主観」でしかないわけですよね。これは(3)に関しても一緒。
 その基準で判決が行われた、ということは言いかえれば、検察・弁護士双方の対決の必要が無い、っていう風にも取れるのですが。

 その結果、「大半が性描写に費やされており、平均的読者がこの漫画から一定の思想を読み取ることは困難」と指摘。「性的刺激を緩和する思想的、芸術的要素もない」などとして、わいせつ物だとの判断を維持した。


 正直、エロマンガに芸術性もクソも無いと思うのですが、それを言ってしまった場合、全てのエロメディアは猥褻物ですよね。アダルトビデオや官能小説に思想や芸術を求める読者っているんでしょうかねぇ?(笑)
 そもそも、この事件の発端は、中学生だか高校生だかの子供がこの漫画を持っていて激怒した親が、国会議員である平沢勝栄に相談。平沢が、自らの出身である警察を動かして…ということなんですよね。
 この経緯で考えると、猥褻性云々はともかくとして、まず責任を考えるべきなのは、描いた側ではなくて買った側・売った側のように思うのです。この本は、いわゆる成人指定の本で、18歳未満に売ってはいけませんよ、っていう本です。それを守らずに売った書店、買ったその子供が出てきていないんですよね。それを飛び越して、いきなり猥褻性だとかの方向に持って行っているところに疑問を感じざるを得ません。




posted by まえとも at 13:59| クアラルンプール ☁| Comment(3) | TrackBack(1) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月15日

もっと勉強しておけば…

「もっと勉強しておけば」中高生7割後悔 ベネッセ調査

 中高生の7割以上が「もっときちんと勉強しておけばよかった」と後悔していることが、ベネッセ教育研究開発センターの調査でわかった。約6割が学習意欲が低いという結果も出た。センターは「中学生になった途端、勉強に戸惑う子どもが多い。この『中1プロブレム』の対策を考える必要がある」と分析している。


 とりあえず、「学習意欲」「学習時間」云々は置いといて…「もっと勉強しておけば良かった」という人が多いって言うのは調査する必要があるのだろうか? と思った私です。少なくとも、そんなものを見出しに使ってどうするんでしょうか?
 「もっと勉強しておけば良かった」っていうのは、これ、多分、学校制度が始まって以来、すべての時代で変わらずに「Yes」が多数派を占める調査だと思うんですよね。というか、反対の回答ってまず有り得ないじゃないですか。「こんなに勉強するんじゃなかった」とか、「もう勉強する必要はない、というくらい勉強した」っていう人います? いるとしたらそいつ、逆におかしい奴だと思いますよ(笑) 最初から、結果がわかりきった質問をするなよ、と私なんかは思うんですが。

 ついでに言うと、この記事を見ると様々なデータが出ていますけど、すべて今回の結果のみで時系列比較が無いんですね。「今の子供は学習意欲が無い」とかってこの記事を見て言うのは間違いです。少なくとも、この記事だけでは、ね。どうだったか知りませんけど、10年前、20年前、30年前に調査したら、やっぱり同じ程度の割合になるってことも考えられますから。例えば、「どうしてこんなことを勉強しなければならないのかと思う」っていうのに、中学生の56%、高校生の57%が「Yes」と言っているわけですが。皆さんはどうでした? 「日常生活で微分・積分なんかすることあるかよ!」とか思いませんでした? 私は思いっきり思っていました(笑) 私は、10年前の中学生ってことになるわけですが、20年前、30年前もそう変わると思えないんですけどねぇ…。
 ま、最後に携帯電話の所持率だとかが載っているわけですけど、この記事のみのデータで「最近の若者は勉強する意欲も無く、携帯で遊んでばかりでダメだ」とか言い出す人がいたら、思いっきり笑ってやろうと思っているのでした。




posted by まえとも at 09:14| クアラルンプール ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月14日

知力と落書き

落書き、知力低下反映? 単純な絵などばかり 仙台

 仙台の街を汚す落書きの質が低下してきた。もちろんどんな内容であれ犯罪だが、以前の落書きはメッセージや芸術性を感じさせるものも少なくなかった。それが最近は単色で、排せつ物の単純な絵やわいせつな文言などばかり。仙台で落書き消しのボランティア活動を続ける団体は「知力が落ちたのか、低年齢化が進んだのか」と嘆いている。


 えっと…この記事はアレですか? 私にツッコミを入れさせるための撒き餌ですか? 釣りですか? ご要望通りに釣られてみせますよ。
 いや、本当にどこからどうツッコミを入れるべきか迷うくらいにツッコミどころ満載でこまりますな〜。

 まず「知力低下」というのは、「誰の」知力なんでしょうか。これで「最近の若者はバカ」とか言い出すのなら、若者は怒るべきじゃないのかな? だって、そういうのでバカにされているわけだしさ。
 ま、これは私が学力低下の話題に関して使う反論と同じ方法ではあるんですけど、そもそも若者でそういうことをしている人間の数自体がどうなんだ、という話。「落書きの数は増えている感じ」という極めて曖昧なものだけ。しかも、これは「落書きをした人」ではなくて、「落書きされた物」の比較でしかない。ということは、「落書きする人数は減っているんだけれども、その少ない落書きする人が大量にするようになった」という可能性が考えられるわけですね。
 内容が「単純で雑」っていうのは言いかえれば、一つ一つを描くのに掛かる手間は少ない、と言う事。やたらと凝った落書き1つ作るのと、単純で雑な落書き10ならば、後者の方が手間が掛からない可能性もありますよね。つまり、落書きの数(面積)と落書きをした人間の数は必ずしもリンクしない、というわけです。もし、これを学力低下とかを語る口実に使いたいのであれば、まずは落書きで検挙なり補導なりをされた人数を示していただきたい。

 さらに、です。落書きした人間の知力が落ちている、として、それは怒るべきことなのか、ということでもあります。
 当たり前のことだと思うのですが、家庭とか学校とかで「落書きをしてはいけません」なんて教育はしていると思うんですよ。それが浸透した結果、とも考えられませんか? つまり、そういう教育が浸透して、普通の感覚を持った人間はしなくなった、と。もっと簡単に言えば、「落書きなんぞするのはバカの中のバカだけ」と…。ま、真相は知りませんけれども、可能性としては考えられますし、そうであれば悪いこととも言い切れない(いや、落書きそのものは悪いことですけど、世の中が悪くなった証明ではない、ってことですよ)。

 最後に、中央大学の教授の話がありますが…すべてこの人の憶測ですね。データも何も示さずにただただ「最近の若者はダメ」と言っているだけ。
 さっきも書いたわけですが、暴走族の規模縮小なんていうのは、社会が撲滅の為に頑張った結果とも言えるわけですよ。それ自体は喜ばしいことなわけですよ。それを「個人主義化が進んだ結果だ」などと言って、さも暴走族は是認するようなのはいかがなものかと思いますが。
 この教授が言っている、若者の個人主義化が進んだために自己満足なメッセージ性も何も無い単純な絵柄が増えた、というのが証明されるためには以前と同じだけの人数が書いているという前提が必要。それは、落書きの数では比較できません。落書きで検挙なり補導された人数を比較することでしょう(勿論、これだって時期によって取り締まりにバラツキはあるので、単純にはいかないでしょうけど、落書きの数よりはマシなはず)。単に「落書きが単純化している」ことだけを見て、「最近の若者は〜」などと言い切ってしまうような教育者の方が余程知力に問題があるんじゃないかと私は思うのですが。




posted by まえとも at 16:56| クアラルンプール ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

補充に使っちゃいけません!

学校図書整備費、廃棄分補充に充てるな…文科省通知

 文部科学省は、地方交付税として措置している「学校図書館図書整備費」について、各学校図書館の蔵書を増やすための経費だとの趣旨を徹底する通知を全国の都道府県教育委員会に出した。


 「学校図書館図書整備費は新しい本を買うための費用であって、古くなって処分した本の補充に使っちゃいけません」。いや、文部科学省の言っていることは正しいと思うんですよ、はい。正論だとも思うわけです。ただ、これを見て思うのは、学校が「補充のために」予算を使うのもまた仕方が無い部分があるんじゃないか、っていう風にも思えるんですよね。
 私は図書館で働いているわけでも何でもないので、単なる想像の域を出ないのですが、図書館が人件費だとか、そういう費用を除いて、本そのものに掛かる費用っていうのは新しい本の購入代と、蔵書を維持費の二つに大別されると思うんですよね。
 文部科学省は「学校図書館図書整備費」というのは「新しい蔵書を増やすためだけに使いなさい」といっているわけですよね。そこで思うのは、「じゃあ、維持費分は増えているの?」ということ。
 何だかんだ言って、書籍って言うのは消耗品なんですよね。紙は古くなれば脆くなったりしますし、何十回、何百回、何千回と人間の手で読まれればそれだけ汚れたりするわけですからね。まして、小中学校の図書館なら相手が子供なわけですから普通の図書館なんかよりよほど消耗の度合いは激しくなりやすいでしょう。
 蔵書数が増えるということは、即ち維持費が多くなる、ということです。「学校図書館図書整備費」で、蔵書数を増やすことは良いと思います。でも、蔵書数は増えたけれども維持費は変わらない、では仕方が無いんですよね。蔵書数はたくさんあります。でも、ボロボロで貸し出せません、物凄く汚くて触るのも嫌です…って状態では、何の意味もありませんから。「学校図書館図書整備5か年計画」というものの一環として「学校図書館図書整備費」が出ているということは、その「5か年計画」が終れば、予算はもとに戻るとも受け取れます。維持すべき蔵書の数は激増しました。でも、維持費は変わりません…となったらどうなるでしょうか? 私には、蔵書の維持ができず、蔵書はいっぱいあるけど、ボロボロでロクに読めないとか、汚くて触ろうとすら思えない本が溢れてしまうのではないかと思うのですが…。そうなった場合、「図書館の充実」とは逆行してしまいますよね。
 「学校図書館図書整備費」が蔵書の拡張ではなくて、蔵書の維持に流用されているという事実そのものが、「学校図書館」の苦しい財政状況を象徴している出来事だと思います。もし充実させたいのであれば、「学校図書館」に対する予算そのものを根本的に見直す、つまり、「学校図書館」に対する予算そのものを大きくするべきだと思うのですが。
posted by まえとも at 07:15| クアラルンプール ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月09日

キレる(2)〜主語は誰?〜

 昨日の記事で「キレる」の辞書的な意味を引用しました。「突然怒ったり,見境がなくなることを,俗にいう語」とのことです。さて、この文章を見て思うことがあります。「突然怒ったり,見境がなくなる」と言うのは「誰から見て」なのでしょう? 細かいツッコミに思えるかもしれませんけれども、これって物凄く大事なことだと思うのです。
 よく重大事件などが起きると、犯人の動機などが取り上げられて、「私には理解できません」などというコメンテーターが出てきます。確かに、第三者からは「理解できない」ことでしょう。でも、本人にとっては、極めて理屈通りのことなんですよね。
 これも昨日だした例文なのですが、「あいつは、ちょっとからうとすぐにキレる奴だった」。これを使って考えてみたいと思います。
 これ、誰にとって「ちょっと」なのかと言えば、コメントを述べた本人。つまり、からかった側ですよね。からかわれた側、つまり「キレた」側からすればちょっとじゃないということは多々あるでしょう。コンプレックスに思っていることだとかをからかわれれば誰でも腹が立ちます。(例え第三者から見て、それがおかしくとも)本人がコンプレックスだと感じていれば、それはコンプレックスです。それを突いておいて「ちょっと」もクソもありませんからね。
 現在は、テクノロジーの発達だとかで、価値観だとかは専門化・多様化しているわけですから、第三者がどうこう言うのは難しくなっていますし、今後、どんどん難しくなるでしょう。数年前、実家に置いといた漫画雑誌を親が勝手に処分したことに腹を立てた子供が、親を相手取って損害賠償・慰謝料請求なんて事件ありました。これ、親にとっては無価値でも、子供に取っては極めて大事なものだった、ってことだと思うのですが、これって漫画に価値があるかどうかを争っても仕方の無いことなんですよね(客観的に値段はつけられるでしょうが、意味があるとは思えません)。他人の価値観に客観的評価なんかつけられるはずがないですから。もし、私が親の弁護士をしていたのならば、実家に置いておく(投棄した)なんていう方向性で勧めるでしょうね。
 なんか、大分、話が逸れましたね。
 まぁ、一言で言えば、第三者が見て理解できない事項っていうのは、どんどん増えているっていうことです。第三者から見て理解できない理由で激怒したりすることを「キレる」と言うのであれば、「キレる」人が増えるのは当然だということです。しかし、それは極めて自然なことなのであって心配するようなことではない、という風に思います。
posted by まえとも at 10:46| クアラルンプール ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月08日

変な調査

日本語の語彙力:私大生の19%「中学生並み」

 大学生の語彙(ごい)力が低下していることが、大学、短大の中堅校を対象にした調査で分かった。独立行政法人メディア教育開発センター(千葉市)が実施し、私立大1年生の19%、短大1年生の35%が「中学生レベル」と判定された。補習や授業で「日本語技法」「日本語コミュニケーション演習」などを開講する大学が増えているが、調査はこうした大学側の不安を裏付けた。


 新聞って、本当、こういうの好きだよね。これさ、「不安を裏付けた」っつーよりも、「不安を煽りたてている」って言う方が私は正しいと思うんだけどね。
 このテスト、ハッキリ言ってわけがわかりません。だって、調査方法がどう考えても変ですもん。
 「大学生の語彙力」を調査し、時系列で比較したいのであれば、同じ問題を出して比較すれば良いだけです。こんなわけのわからない方法を取る必要は一切ありません。
 だってそうでしょ?
 中高生の成績を基準にして大学生の点数を数値化するって偏差値計算ですよね。98〜00年というのがどういう調査方法なのか知りませんけれども、04年の大学の新入生の基準が02年の中高生ということを考えると、00年の大学の新入生の基準が98年の中高生という風に見るのでしょう。…となると、基準がまず別ですよね(笑)。 98年の中高生を基準にした00年の大学生の偏差値と、02年の中高生を基準にした04年の大学生の偏差値を比較してどうするんでしょ? 例えばこれ、大学生の平均点は前回と今回も同じだけれども、中高生のレベルは前回より今回の方が高かった…なんて可能性も考えられるわけですよね。
 そもそも、この方法を使えば、大学生の偏差値が下がるのは当たり前のことなんですよね。だって、大学やその学部・学科の数自体は少子化にも関わらず増えつづけているわけですから。大学進学率なども高くなりつつあります。仮に学力が同じだとします。中学は義務教育、高校も100%近い進学率があります。一方、大学は進学率がどんどん高くなっています。進学率が高くなる、ということはこれまで大学に入れなかった学力水準の人も入るようになった、ということですから大学生の平均点は下がります。そうなれば、大学生の偏差値が下がって当然なんですよね。むしろ、この状態で大学生の偏差値が上がった、というのは、大学生の語彙力が上がった、というよりも、基準となった中高生のレベルが下がったことを心配すべきではなかろうか…すら私は思うのですが…。
 勿論、こういう調査においては、学校のサンプリングだとかも考える必要があります。その辺りまで考えると、到底、信頼するに値しない調査だと私には思えてなりません。




posted by まえとも at 18:25| クアラルンプール ☁| Comment(3) | TrackBack(1) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

キレる〜「キレる」という言葉の意味について〜

 最近…というか、ここ数年、私が興味を抱いている言葉の一つに「キレる」という言葉があります。少年犯罪による重大犯罪が起きるたびに「キレる」がキーワードとして出てきます。しかし…そもそも「キレる」って何なのだろうか? と。
 辞書によると、「キレる」とは「突然怒ったり,見境がなくなることを,俗にいう語。」とのこと。ただ、普段、喋りの中で使われるときって、もっと広いと思うんですよね。
 例えば、事件報道などで「同級生の談話」なんて言う時に、「あいつは、ちょっとからうとすぐにキレる奴だった」なんてのが出てきます。また、学校なんでか「宿題忘れたら、先生がキレちゃって…」なんて感じで。でもこれって別の言葉で置き換え可能ですよね。
 前者に関しては、「あいつは、ちょっとからかうとすぐにムキになる奴だった」とか、「すぐに怒り出す奴だった」となると思います。後者は「宿題忘れたら、先生が激怒しちゃって…」などがそうでしょうか。 辞書通りの意味だとは思えないのですが…。少なくとも、私だったら、すぐに見境無く攻撃に移るような奴をからかったりは怖くてできません(笑) また、宿題を忘れた生徒に教師が激怒することもまったくおかしな話ではありませんよね。
 「キレる」っていう言葉、使う人によってかなり範囲が大きいような気がするんです。ちょっと腹を立てる、とかも「キレる」と言う人は多くいますからね。ちょっと腹を立てたことを「キレた」と言った人の言葉を、上の辞書通りの言葉の意味で捉えるのは物凄い誤解を与えるわけですよね。言葉の定義がハッキリしない、定義が人によって異なるために「最近の若者」なんかを語るときに極端な使い方がされてしまうようになったのではなかろうか、という気がしてなりません。

 まぁ、このテーマに関しては、もうちょっと色々と御託を並べたいので続く(笑)




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2005年05月26日

交番のあり方、について

5分の1は「空き交番」 警察庁、統廃合や増員で

 警察官の不在が常態化している「空き交番」は、4月現在で全体の18・9%の1222カ所に上ることが26日、警察庁のまとめで分かった。昨年同期比で703カ所減少しており、同庁は2007年春までに空き交番「ゼロ」を目指すという。
 警察庁は昨年7月、統廃合で交番の数を減らし、勤務員を増員するなどして、3年後に空き交番を解消する計画を公表。昨年同期比で交番は54カ所減少し6455カ所、勤務員は約1500人増えて約4万6900人となった。
 交番勤務員は常時2人以上が3交代(警視庁は4交代)で勤務するのが原則。5人以下(警視庁は7人以下)だと空き交番になる可能性が高く、地域によっては警察OBが中心となった交番相談員を配置し、補完している例もある。


 お巡りさんに伝えることがあって、交番まで行ったら、お巡りさんがいなかった。これは確かに困ります。なので、常に交番に誰かがいるようにしよう、という考え方については賛成です。しかし…。

 この記事を読む限り、警察庁が「空き交番0」にするために行っている施策は2つです。1つは、警察官を増員すること。これは簡単な話で、交番勤務の警察官を増やせば、それだけ空いている時間が短くなるのは当然のことですから。ま、立場とかにもよるでしょうけど、このこと自体はそれほど問題はないと思います。
 で、問題なのはもう1つの施策である、交番の数そのものを減らす、という事。単純計算で、これまで3つあった交番を2つにすれば、警察官の数はそのままで1つの交番に勤務する人を1,5倍に増やせます。確かに、これも「空き交番」はなくせるでしょう。

 けど、交番の数そのものを減らすというのは、デメリットも多くなかろうか? と思えてならないんですよね。
 まず、交番の数が減れば、1つの交番で担当する地域が広がるってことですよね? パトロールであるとかの範囲が広がってしまうわけですから、果たして木目細かい巡回ができるかどうか…。
 さらに、我々、一般人の側から考えれば、数が減るということは、それだけ交番が遠くなる、ということ。今だと、不在でも、交番から警察署などへ通報するシステムが設置されているわけで、「空き交番」であってもそれなりの意味はあるわけですけが、交番そのものがなくなったら、そういうものも消えてしまうわけですよね。果たしてそれで良いのかどうか…。

 理想としては、今のままの数を維持して(場合によってはもっと多くの場所に交番を設置して)、そこに24時間、警察官が駐在している状態を作ることでしょう。しかし、それは現状では不可能な状況にあるわけです。その際、「24時間、常に警察官がいるけれども、数が少なくて遠くにある交番」のが良いのか、それとも「不在の場合もあるけど、身近な場所にたくさん交番がある」状態が良いのかを考えることも必要なのではないかと思いますが。




posted by まえとも at 12:03| クアラルンプール ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

有害性の基準は何?

残虐ゲームソフト、神奈川県が全国初の販売規制へ

 残虐な殺害シーンなどを含むゲームソフトの販売規制のため、神奈川県は、特に残虐性や暴力性の高いソフトを県青少年保護育成条例に基づき、有害図書類に指定する方針を明らかにした。
 30日の県児童福祉審議会に諮問する。指定されれば、6月にも県内での18歳未満への販売禁止と、店頭での一般ソフトとの区分陳列が義務づけられ、悪質な違反者には30万円以下の罰金が科せられる。同県によると、条例で残虐ゲームソフトを有害図書類として規制するのは全国で初めてという。


 この問題に関しては、以前、松沢知事が会見で言った際にも意見を書いたのですが、本気でやろうとしているみたいですね。ちなみに、この会見であるとかがいかに杜撰かは、神奈川県に質問をした方のやりとりの記事を参照されると良いかと思います。

 さて、この記事を見て私はふと思いました。「有害」か否かはどうやって判断するのだろう、と。
 とりあえず、「有害」なものが含まれている、ということ前提にします。次に、「有害」性の判断の方法もあるものと仮定します。本当は、その2つの部分からして疑問を呈することができるわけですが、そこまで話を広げたくないですから(笑)

 まず、そうなると最初に考えるべきことは、「ゲームによる悪影響はどのようなものか」という部分でしょう。松沢知事の会見内容などからして、これは「ゲームをやることによって、暴力性が高まる」とか、そのような類の話と考えられます。となると、これは心理学、メディア論などの分野と言えるでしょうね。
 さて、それでは、審議をする神奈川県児童福祉審議会の委員のプロフィールを見てみましょう。大学教授などの研究者も多く含まれていますが、「児童福祉審議会」というだけあって、殆どが「児童福祉論」などの専門家であり、メディア論であるとか、心理学の専門家はおりません。まぁ、高野陽氏は、精神医学などに関して専門知識がありそうですが…(どうも調べてみると、栄養学などの方に傾いているきらいもありますけどね)。
 そうすると、彼らはどうやってそれを「有害」かどうかを判断するのでしょうか? 言っちゃ悪いですけど、素人だらけですよ、このメンバー。まして、本来、このようなことに関しては、専門家でも議論が別れている状況。そんなときに素人が出てきて、何をするんでしょうか? 私には理解しかねますが。
 「審査は同審議会社会環境部会の委員9人が、実際にゲームのプレー画面を見て行うが、「有害」と指定するかどうかは各委員の判断に委ねられる」。先ほどは、「有害」の判断方法がある、という前提を作りましたけれども、実際にはそれすらない状況なわけですから、この1文が意味することはこうなります。「委員個人の主観で有害かどうかを決めます」。果たして、これに何の意味があるのか。明確な基準も無く、「私がまずいと思ったから有害図書」とすることに、極めて違和感を感じるとともに、危険性を感じざるを得ません。

 なお、性犯罪を犯した少年の多くが「AVを見て、自分も同じ事をしたくなった」と回答していることについて、斎藤環氏は『「負けた教」の信者たち』の中で、以下のような見解を示しています。
 裁判官や条例改正論者が提唱する「有害なわいせつ性」なる社会通念が、青少年の犯罪者に、格好の「いいわけ」を提供しているのではないか。

 「ゲームを見て云々」といった事を言う犯罪者達についても、私は同じ事が言えるのではないかと思うのですが。




posted by まえとも at 04:26| クアラルンプール ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月25日

「新聞離れ」に関する雑感

「新聞離れ」に歯止めを 札幌で全国フォーラム

 全国約70の新聞社の幹部や販売担当者計約1150人が新聞販売の課題と将来を話し合う「第7回全国新聞販売フォーラム」(北海道新聞社、道新会連合会主催)が24日、札幌市のホテルで開かれた。
 フォーラムは1993年から各地で隔年で開催。冒頭のあいさつで北海道新聞社の菊池育夫社長は「新聞が直面する『活字離れ』とは、実は『新聞離れ』ではないか。問題は中身とサービスだ」と述べ、紙面やサービスの充実を訴えた。
 分科会では経営戦略などについて討議、「他社と顧客を取り合うより、購読しない層の増加に歯止めをかけるべきだ」などの意見が出された。
 東北大の川島隆太教授(脳科学)は「朝刊10分の音読で脳力が育つ」と題した講演で、新聞の音読で認知症(痴呆症)の99歳の女性の脳の働きが回復した例を紹介した。


それほど長い記事ではないので、全文引用。なんか…この記事見て、文章短いけど、ツッコミどころだらけだなぁ…と感じてしまった私です。

 まず「新聞が直面する『活字離れ』とは、実は『新聞離れ』ではないか」という部分に関しては私もそう思います。でも、「問題は中身とサービスだ」というのは何でしょうね? 紙面とサービスは別物ということのようです。しかし、これは凄く不思議な話ですよね。だって、本来、中身を見るべき新聞で「紙面」以外のサービスって何があるんでしょうか? これって結局、「紙面の充実と、拡材をたくさんつけて勧誘しろ」ってことといえるんでしょうね。
 「他社と顧客を取り合うより、購読しない層の増加に歯止めをかけるべきだ」。余計なお世話です。と言うかね…新聞社の立場としてみれば、そうしないと不味いんでしょうけど、そんなものは客にとってはどうでも良い話であって、「新聞を購読しない=どうしようもない」みたいな意見の押し付けはいかがなものかと思うんですよ。
 「川島隆太教授(脳科学)は「朝刊10分の音読で脳力が育つ」と題した講演」に至ってはもう失笑するしかないですね。まず、それが「新聞」である必要ないじゃないですか。「文章を音読すると脳が活性化する」っていうのであれば、別に本でも良いし、BLOGだって構わないはずですよね。まして、「99歳の女性の脳が〜」なんて例、確かにあったのかも知れないですけど、そんな特異な例を出されてもそれでどうしろっていうんでしょう? ついでに言うと、私は川島隆太氏の最近の活動に関して、実はあまり良い印象を持っていないんですよね。「ゲーム脳」というトンデモ理論を唱えている森昭雄を批判している人物ではありますけど、結局、川島氏も「脳の老化」だの何だの危機を煽って商売しているだけ、としか思えないものですから…。対立はしていても、同じようなことしているようなぁ…という感じがしてならないんです。

 以上、私の雑感でした。




posted by まえとも at 12:07| クアラルンプール ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月22日

「保護」という名の「破壊」

魚類学会が「放流ガイドライン」 日本初、科学的指針

 日本魚類学会は、生物多様性の保全をめざした希少魚類の「放流ガイドライン」をまとめた。放流の是非、場所や個体の選び方、放流後のモニタリング調査、密漁防止などを規定している。絶滅した動植物の再導入については国際自然保護連合(IUCN)のガイドラインがあるが、日本では初の科学的指針だ。


 この記事で日本魚類学会が主張していることは素直に納得。考えてみれば、至極当たり前のことだよなぁ…という感じですね。むしろ、これまで、このようなものが無かったことの方がおかしいくらいなわけですし。
 私も、小学校の頃、学校だか市だかのイベントで近所の川に稚魚を放流したことがあります。なぜか鮭の稚魚を。千葉県の最南端という地理で鮭なんて見たことも無いのに、なんでこんな魚を? と疑問に思ったものでした。
 ま、その当時はそれだけの感想だったわけですけど、今考えてみれば思いっきり生態系を破壊している可能性があるわけですよね。だって、その地域にいない魚を放流しているわけですもん。ブラックバスとかと違って、鮭が他の魚を食べることはないでしょうけど、単に魚の数が増えるだけでも、消費されるエサの量とかが増えるわけですから絶対に影響はでるはずですもんね。そう考えると、「保護」と銘打った「環境破壊」を行っていたのでは? と思えてなりません。
 日本各地でそういう「放流活動」ってのは行われているわけですから、それによって「破壊」された自然って言うのも大量にあるんじゃないかな? という風に思えてなりません。

 で、まぁ、そういう活動って別に魚に限ったことじゃないんですよね。例えば、同じように各地で「植樹」って奴もいっぱい行われているわけですが、こちらにはガイドラインってあるんでしょうかね? もしも無いのであれば、こちらも早急にガイドライン作りをすべきではないでしょうか?




posted by まえとも at 05:37| クアラルンプール ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月20日

危機感を補強材料にするな

性犯罪対策 まだまだ法定刑が甘すぎる

 東京で少女を3カ月間も監禁した無職の男が逮捕され、大阪では女子高生を22日間監禁した露天商手伝いの男が捕まった。一方、子供が被害に遭った性被害事件が昨年は2600件を数え、10年前の1・7倍に増加したことも毎日新聞の調査で分かった。監禁、暴行や誘拐など増加する性犯罪を防ぐため、有効な施策を早急に講じる必要がある。


 まず、最初に断っておきたいのですが、この社説に書かれている「性犯罪の法定刑が軽過ぎるのではないだろうか?」と趣旨そのものに反対するつもりはありません。強姦であるとかいった犯罪に対する刑罰が軽過ぎないか? ということは以前から思っていましたし。
 ただし、この文章の書き方そのものが気に食わない(笑)

 この社説の何が気に入らないかというと、曖昧な表現で危機感を煽ることによって、自らの文章に説得力を持たせようとしている点。ハッキリ言って、この文章に、具体的な数字であるとかは、殆ど載っていませんからね。
 唯一、具体的な数値として出ているのが、最初に引用した「子供が被害にあった性犯罪が10年前の1,7倍」というもの。しかし、実は、この社説の中で自らそれを否定してしまっているんですよね。「年約2500件という強姦の認知件数が、氷山の一角でしかないことも言うまでもない。」と後半部分であるわけですが、全くその通りで「性犯罪は実際の件数と認知件数に大きな差がある」といえます。そして、「認知件数の増減は社会状況などによって異なるため、認知件数が増えたからと言って全体の件数が増えたとは言えない」とも言えます。この事は、先日も書きました。
 ということで、まず、冒頭部分にあった数少ない具体的な数字を消してみました。

 すると、あとは具体性に欠ける事柄で文章の補強をしていることがわかります。
 「性犯罪は再犯性が高いとされ」とありますが、これは「性犯罪だけが飛びぬけて再犯率が高いわけではない」という議論もたくさん見られます。具体的な数字が無いので、私には判断つきかねますが。
 「都市化で地域社会の“防犯力”が低下していることも勘案されねばならない。」という部分に関しては、ただの偏見としか思えませんね。よく、人々の結びつきが弱くなったことで犯罪が増えた、と言われますが私はそうは思っていません。人々の結びつきというのは、良い方向で働けば防犯などにも役立つのでしょうが、悪い方向に進めば内部での犯罪を助長することも考えられるはずです。よく、企業ぐるみの犯罪などが出てくると、「閉鎖された集団の中で、犯罪が日常行為として行われていた」などという言葉を目にします。企業がそうであるならば、地域というものも結びつきが強くなり閉鎖空間となった場合、同じ事が起こり得るのは至極当然の事ではないでしょうか? 逆に、結びつきが弱いからこそ、遠慮無く内部告発、警察への通報などが行われる、という考え方もできます。

 最初にも書いたように、「性犯罪に関する法定刑が軽過ぎるのでは?」「被害者の保護・ケアを重視し、被害届を出しやすくすることが必要」などと言った事に対しては私自身も賛成です。ただし、それを訴えるために、客観性に欠け、危機感を煽るだけの語句を並べ立てることに対しては反対したいところです。

 以上、全く客観的材料を用いらずに行った批判でした(ぉぃ)




posted by まえとも at 15:59| クアラルンプール ☀| Comment(0) | TrackBack(1) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月19日

「徒歩パトロール」は何のため?

太り気味警官は徒歩パトロール隊に 群馬・松井田署

 群馬県警松井田署は今月、本署勤務の19人を太り気味のB(ビッグ)班とS(スマート)班に分け、主にB班を徒歩パトロールに充てる取り組みを始めた。


 えっと…この記事を見て、最初に私が思ったことを率直に書きたいと思います。「ダイエットなら他でやれ!!」
 いや…これを見ていて思うんですよね。「徒歩パトロール」っていうのは、一体、何の為に行うものなんだ? と。本来、警察官によるパトロールっていうのは、色々なところを回って犯罪が行われないように抑止を働かせるとか、街にいる不振人物を取り締まるための行為ですよね。別に、警察官のダイエットの為にする行動じゃないですよね。そこにまず、疑問を覚えるわけです。
 そして、もう1つ。その「不審者の取り締まり」ということに関してなのですが、この行為をする上で支障を来さないか? とも思えるんです。
 さて、ここで質問。普通の体型の人と肥満気味の人、どちらが走るのが早いでしょうか? どちらが体力があるでしょうか? ま、個人差の占める部分が多いかとは思いますが、普通の体型の人の方が上、という傾向が出ると思います。そうすると、肥満気味の人を集中的に導入するとなると、そのような不審者を取り逃す可能性が高くなるのではなかろうかと思えてならないわけです。足の早い警察官と、遅い警察官だったら、後者の方が失敗する率が高いのは当然でしょ?

 勿論、これを行うことによって、警察官全体の体力を向上させる効果があるのかも知れません。でも、それはそれで、他の方法もあるんじゃなかろうか、と思えてならないのですが。




posted by まえとも at 04:49| クアラルンプール ☁| Comment(0) | TrackBack(2) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月18日

歴史は繰り返す

見せたくない番組「ロンドンハーツ」2年連続


 同協議会(注・日本PTA全国協議会)が小中学生の保護者に「子どもに見せたくない番組」を聞いたところ、トップは2年連続でテレビ朝日系のバラエティー番組「ロンドンハーツ」となった。「内容がばかばかしい」「言葉が乱暴」などが主な理由で、「見せたくない番組がある」と答えた保護者の11.3%が挙げた。

 上位には、このほかフジテレビ系の「水10!」やテレビ朝日系の「クレヨンしんちゃん」などが並んだ。


 うん、予想通りですな(笑) まぁ、大体、こういう結果が出るであろうということは、殆どの皆さんが想像しているのではないでしょうかね。

 しかし、この理由が面白いですね。「内容がばかばかしい」って…それを言っちゃ全てがおしまいだと思うんですけど(笑) 例えば、牛乳の蓋を集める、とか、そういうことをした経験ありません? そんなの、大人の視線で考えればばかばかしいかも知れないですけど、やっている本人にとっては凄く魅力的なものなんですよね。テレビ番組にしたってそう。親の立場から見ればばかばかしいけど、それを理由に「見ちゃいけません」っていうのは、物凄く理不尽なことでしかないんですよね。(そもそも、そんなことを言い出すと、毎回、どっかの悪代官が事件を起こして、それを主人公が叩き切る時代劇とかだって、かなりばかばかしいですよ(笑))

 もう1つ。「言葉遣いが乱暴」とか、「暴力的なシーンが心配」みたいなものですが、これに関してはどうなのかな? という感じがします。
 よく、「最近のメディアは低俗で、暴力的なものばかり流している」という意見を見聞きします。しかし、それは本当にそうなのかな? という感じがするのも事実なんですよね。
 我が家の場合、私の父親がマンガ好きでして、色々と父所有のマンガもあるのですが、その中に「手塚治虫全集」というものがあります。その名の通り、手塚治虫氏のマンガを集めたものです。と言っても、「ブラックジャック」「ジャングル大帝」「鉄腕アトム」みたいなメジャーなものではなくて、もっと読みきりの短篇だとか、そういう超マイナーなものが中心になっています。
 で、これを私がふと読んだときの感想は、なんか凄い暴力的だな、というものでした。短篇なので色々とあるのですが、私が覚えているものでは、冴えない青年が赤軍派に憧れて事件を起こそうとする。ところが、その青年はマヌケなのでいつも失敗ばかりで、最後には自分の仕掛けた罠で自滅して死んでしまう…みたいなもの。これだけでも分かる通り、実にくだらない。しかも、くだらないだけではなくて、その台詞の中には、今ではすぐにどっかから抗議がくるであろう差別用語が含まれていたり、自滅して死んでしまうところなどもかなり毒々しく描かれいるんですよね。私自身は81年産まれで、丁度、ドラゴンボールとか、ああいうマンガが全盛期の中で育った人間なのですが、こういうマンガを見て、エグいなぁ…、暴力的だなぁ…と普通に思いましたもん。
 何を基準にして「暴力的か」というのは、計れないわけで、そういう意味では単に認識のギャップによる部分も大きいと思うわけです。少なくとも、差別用語的なものとかは、昔のほうがはるかに多かったことは事実なわけですし。

 戦後の「有害図書」だとかの話を鑑みれば、ずっとこういう「あれは俗悪で、有害だ」っていう運動が続いてきたわけですよね。ちょっと前は「ドリフは有害だ」とか、「コント55号はくだらない」とか、そんな感じで。今、「日本の風俗は乱れている」と浄化作戦なるものをやろうとしている石原慎太郎都知事だって、世の中に出てきた当初、彼の作品『太陽の季節』は俗悪本として、PTAとかは徹底的に批判していたわけでしょ?
 そう考えると、歴史ってのは繰り返すものなのだなぁ…と思わざるを得ません。




posted by まえとも at 02:43| クアラルンプール ☔| Comment(2) | TrackBack(3) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月14日

「率」だけ見てどうする

高卒の就職率94.1% 大卒を4年ぶり上回る

 この春の新卒者の就職率で、高卒者(3月末現在)が前年同期に比べて2ポイント増の94.1%と、同0.4ポイント増で93.5%となった大卒者(4月1日現在)を4年ぶりに上回った。厚生労働、文部科学両省が13日発表した。企業の業績回復に伴う求人増が背景にあるが、企業の都合で勤め先が変わる派遣や請負などの形での就職が増えている側面もある。


 え〜っと…この記事で「景気が回復傾向にある」っていうのはどうだろうか? とまず思った私です。これ、比較として重要な点が欠けているような気がしてならないんですよね。そう、「高卒の就職希望者」の数そのものが全く比較されていない点です。
 物凄く簡単な比較ですけど、一昨年、高卒の就職希望者が100人中50人だったとして、そのうち30人が就職できれば、就職率60%になります。が、昨年、就職希望者が100人中40人になり、就職できた人数が25人だったとすれば就職率62,5%になるわけですよね。となると、「就職率」の数字だけで言えばば、2,5%の上昇となります。が、これは景気回復の証拠というのは無理ですよね。だって、就職できた人間の数そのものは逆に減っていますし。
 勿論、この記事が私の言った通りかどうかはわかりません。だって、分母の部分は無いんですから。何だかんだで増えつづけている大学進学率、はたまた色々と取り沙汰されているフリーター、NEETなんていうことの話を鑑みれば、就職希望者というものの全体値が減っているのではなかろうか? と思えてならないのですが。




posted by まえとも at 11:31| クアラルンプール ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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