2005年06月16日

猥褻性って何だろう?

漫画のわいせつ性めぐる裁判、二審も有罪 罰金刑に

 露骨な性描写がある成人向け漫画「蜜室(みっしつ)」を売ったとして、わいせつ図画頒布の罪に問われた出版社「松文館」(東京都豊島区)社長・貴志元則(もとのり)被告(56)の控訴審判決が16日、東京高裁であった。漫画本がわいせつ物にあたるかが公開の法廷で争われた初のケースで、田尾健二郎裁判長は一審と同様にわいせつ物と認めた。一方、量刑判断のなかで「DVDなどの実写表現に比べるとわいせつ性は低い」と情状について考慮。懲役1年執行猶予3年とした一審・東京地裁判決を破棄し、罰金150万円を言い渡した。


 いわゆる、松文館裁判って奴ですな。結構、この裁判に関しては私も注目をしているので、この記事に関して思うことを。
 神奈川県のゲーム規制なんかとも、基本的には共通した感想なのですが、こういう「猥褻性」にしても「暴力性」にしてもそうですが、その「基準」は何だろう? という根本的な疑問が浮かぶんですよね。

 判決は、昨年1月の一審判決の判断手法をほぼ踏襲した。51年の最高裁判決が示したわいせつの定義である「(1)いたずらに性欲を刺激し(2)普通人の正常な性的羞恥(しゅうち)心を害し(3)善良な性的道義観念に反するもの」を引用。そのうえで、「蜜室」がこの定義にあてはまるかどうかについても「四畳半襖(ふすま)の下張事件」の最高裁判決(80年)が示した、性描写の作品全体に占める比重▽芸術・思想性による性的刺激の緩和の程度――などの判断基準に沿って検討した。


 とのことなのですが、客観的な材料としては「性描写の比重」くらいなものでしょう(もっとも、これだって1シーンだけ滅茶苦茶濃い描写がされている作品ならOKなのか? ってことになりますけどね)。それ以外は、裁判官の主観に基づくものでしかありません。
 (1)いたずらに性欲を刺激し…って、どういうので性欲を刺激されるのかは人それぞれでしょ。(2)普通人の正常な性的羞恥心を害し…まず、普通人っていうのは何でしょう? 正常な性的羞恥心って何でしょう? 「普通」だの「正常」だのっていうのは、かなりあやふやなものです。私の普通と、あなたの普通は別物であってもおかしくはありません。結局、「裁判官の主観」でしかないわけですよね。これは(3)に関しても一緒。
 その基準で判決が行われた、ということは言いかえれば、検察・弁護士双方の対決の必要が無い、っていう風にも取れるのですが。

 その結果、「大半が性描写に費やされており、平均的読者がこの漫画から一定の思想を読み取ることは困難」と指摘。「性的刺激を緩和する思想的、芸術的要素もない」などとして、わいせつ物だとの判断を維持した。


 正直、エロマンガに芸術性もクソも無いと思うのですが、それを言ってしまった場合、全てのエロメディアは猥褻物ですよね。アダルトビデオや官能小説に思想や芸術を求める読者っているんでしょうかねぇ?(笑)
 そもそも、この事件の発端は、中学生だか高校生だかの子供がこの漫画を持っていて激怒した親が、国会議員である平沢勝栄に相談。平沢が、自らの出身である警察を動かして…ということなんですよね。
 この経緯で考えると、猥褻性云々はともかくとして、まず責任を考えるべきなのは、描いた側ではなくて買った側・売った側のように思うのです。この本は、いわゆる成人指定の本で、18歳未満に売ってはいけませんよ、っていう本です。それを守らずに売った書店、買ったその子供が出てきていないんですよね。それを飛び越して、いきなり猥褻性だとかの方向に持って行っているところに疑問を感じざるを得ません。




posted by まえとも at 13:59| クアラルンプール ☁| Comment(3) | TrackBack(1) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月15日

もっと勉強しておけば…

「もっと勉強しておけば」中高生7割後悔 ベネッセ調査

 中高生の7割以上が「もっときちんと勉強しておけばよかった」と後悔していることが、ベネッセ教育研究開発センターの調査でわかった。約6割が学習意欲が低いという結果も出た。センターは「中学生になった途端、勉強に戸惑う子どもが多い。この『中1プロブレム』の対策を考える必要がある」と分析している。


 とりあえず、「学習意欲」「学習時間」云々は置いといて…「もっと勉強しておけば良かった」という人が多いって言うのは調査する必要があるのだろうか? と思った私です。少なくとも、そんなものを見出しに使ってどうするんでしょうか?
 「もっと勉強しておけば良かった」っていうのは、これ、多分、学校制度が始まって以来、すべての時代で変わらずに「Yes」が多数派を占める調査だと思うんですよね。というか、反対の回答ってまず有り得ないじゃないですか。「こんなに勉強するんじゃなかった」とか、「もう勉強する必要はない、というくらい勉強した」っていう人います? いるとしたらそいつ、逆におかしい奴だと思いますよ(笑) 最初から、結果がわかりきった質問をするなよ、と私なんかは思うんですが。

 ついでに言うと、この記事を見ると様々なデータが出ていますけど、すべて今回の結果のみで時系列比較が無いんですね。「今の子供は学習意欲が無い」とかってこの記事を見て言うのは間違いです。少なくとも、この記事だけでは、ね。どうだったか知りませんけど、10年前、20年前、30年前に調査したら、やっぱり同じ程度の割合になるってことも考えられますから。例えば、「どうしてこんなことを勉強しなければならないのかと思う」っていうのに、中学生の56%、高校生の57%が「Yes」と言っているわけですが。皆さんはどうでした? 「日常生活で微分・積分なんかすることあるかよ!」とか思いませんでした? 私は思いっきり思っていました(笑) 私は、10年前の中学生ってことになるわけですが、20年前、30年前もそう変わると思えないんですけどねぇ…。
 ま、最後に携帯電話の所持率だとかが載っているわけですけど、この記事のみのデータで「最近の若者は勉強する意欲も無く、携帯で遊んでばかりでダメだ」とか言い出す人がいたら、思いっきり笑ってやろうと思っているのでした。




posted by まえとも at 09:14| クアラルンプール ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月14日

知力と落書き

落書き、知力低下反映? 単純な絵などばかり 仙台

 仙台の街を汚す落書きの質が低下してきた。もちろんどんな内容であれ犯罪だが、以前の落書きはメッセージや芸術性を感じさせるものも少なくなかった。それが最近は単色で、排せつ物の単純な絵やわいせつな文言などばかり。仙台で落書き消しのボランティア活動を続ける団体は「知力が落ちたのか、低年齢化が進んだのか」と嘆いている。


 えっと…この記事はアレですか? 私にツッコミを入れさせるための撒き餌ですか? 釣りですか? ご要望通りに釣られてみせますよ。
 いや、本当にどこからどうツッコミを入れるべきか迷うくらいにツッコミどころ満載でこまりますな〜。

 まず「知力低下」というのは、「誰の」知力なんでしょうか。これで「最近の若者はバカ」とか言い出すのなら、若者は怒るべきじゃないのかな? だって、そういうのでバカにされているわけだしさ。
 ま、これは私が学力低下の話題に関して使う反論と同じ方法ではあるんですけど、そもそも若者でそういうことをしている人間の数自体がどうなんだ、という話。「落書きの数は増えている感じ」という極めて曖昧なものだけ。しかも、これは「落書きをした人」ではなくて、「落書きされた物」の比較でしかない。ということは、「落書きする人数は減っているんだけれども、その少ない落書きする人が大量にするようになった」という可能性が考えられるわけですね。
 内容が「単純で雑」っていうのは言いかえれば、一つ一つを描くのに掛かる手間は少ない、と言う事。やたらと凝った落書き1つ作るのと、単純で雑な落書き10ならば、後者の方が手間が掛からない可能性もありますよね。つまり、落書きの数(面積)と落書きをした人間の数は必ずしもリンクしない、というわけです。もし、これを学力低下とかを語る口実に使いたいのであれば、まずは落書きで検挙なり補導なりをされた人数を示していただきたい。

 さらに、です。落書きした人間の知力が落ちている、として、それは怒るべきことなのか、ということでもあります。
 当たり前のことだと思うのですが、家庭とか学校とかで「落書きをしてはいけません」なんて教育はしていると思うんですよ。それが浸透した結果、とも考えられませんか? つまり、そういう教育が浸透して、普通の感覚を持った人間はしなくなった、と。もっと簡単に言えば、「落書きなんぞするのはバカの中のバカだけ」と…。ま、真相は知りませんけれども、可能性としては考えられますし、そうであれば悪いこととも言い切れない(いや、落書きそのものは悪いことですけど、世の中が悪くなった証明ではない、ってことですよ)。

 最後に、中央大学の教授の話がありますが…すべてこの人の憶測ですね。データも何も示さずにただただ「最近の若者はダメ」と言っているだけ。
 さっきも書いたわけですが、暴走族の規模縮小なんていうのは、社会が撲滅の為に頑張った結果とも言えるわけですよ。それ自体は喜ばしいことなわけですよ。それを「個人主義化が進んだ結果だ」などと言って、さも暴走族は是認するようなのはいかがなものかと思いますが。
 この教授が言っている、若者の個人主義化が進んだために自己満足なメッセージ性も何も無い単純な絵柄が増えた、というのが証明されるためには以前と同じだけの人数が書いているという前提が必要。それは、落書きの数では比較できません。落書きで検挙なり補導された人数を比較することでしょう(勿論、これだって時期によって取り締まりにバラツキはあるので、単純にはいかないでしょうけど、落書きの数よりはマシなはず)。単に「落書きが単純化している」ことだけを見て、「最近の若者は〜」などと言い切ってしまうような教育者の方が余程知力に問題があるんじゃないかと私は思うのですが。




posted by まえとも at 16:56| クアラルンプール ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

補充に使っちゃいけません!

学校図書整備費、廃棄分補充に充てるな…文科省通知

 文部科学省は、地方交付税として措置している「学校図書館図書整備費」について、各学校図書館の蔵書を増やすための経費だとの趣旨を徹底する通知を全国の都道府県教育委員会に出した。


 「学校図書館図書整備費は新しい本を買うための費用であって、古くなって処分した本の補充に使っちゃいけません」。いや、文部科学省の言っていることは正しいと思うんですよ、はい。正論だとも思うわけです。ただ、これを見て思うのは、学校が「補充のために」予算を使うのもまた仕方が無い部分があるんじゃないか、っていう風にも思えるんですよね。
 私は図書館で働いているわけでも何でもないので、単なる想像の域を出ないのですが、図書館が人件費だとか、そういう費用を除いて、本そのものに掛かる費用っていうのは新しい本の購入代と、蔵書を維持費の二つに大別されると思うんですよね。
 文部科学省は「学校図書館図書整備費」というのは「新しい蔵書を増やすためだけに使いなさい」といっているわけですよね。そこで思うのは、「じゃあ、維持費分は増えているの?」ということ。
 何だかんだ言って、書籍って言うのは消耗品なんですよね。紙は古くなれば脆くなったりしますし、何十回、何百回、何千回と人間の手で読まれればそれだけ汚れたりするわけですからね。まして、小中学校の図書館なら相手が子供なわけですから普通の図書館なんかよりよほど消耗の度合いは激しくなりやすいでしょう。
 蔵書数が増えるということは、即ち維持費が多くなる、ということです。「学校図書館図書整備費」で、蔵書数を増やすことは良いと思います。でも、蔵書数は増えたけれども維持費は変わらない、では仕方が無いんですよね。蔵書数はたくさんあります。でも、ボロボロで貸し出せません、物凄く汚くて触るのも嫌です…って状態では、何の意味もありませんから。「学校図書館図書整備5か年計画」というものの一環として「学校図書館図書整備費」が出ているということは、その「5か年計画」が終れば、予算はもとに戻るとも受け取れます。維持すべき蔵書の数は激増しました。でも、維持費は変わりません…となったらどうなるでしょうか? 私には、蔵書の維持ができず、蔵書はいっぱいあるけど、ボロボロでロクに読めないとか、汚くて触ろうとすら思えない本が溢れてしまうのではないかと思うのですが…。そうなった場合、「図書館の充実」とは逆行してしまいますよね。
 「学校図書館図書整備費」が蔵書の拡張ではなくて、蔵書の維持に流用されているという事実そのものが、「学校図書館」の苦しい財政状況を象徴している出来事だと思います。もし充実させたいのであれば、「学校図書館」に対する予算そのものを根本的に見直す、つまり、「学校図書館」に対する予算そのものを大きくするべきだと思うのですが。
posted by まえとも at 07:15| クアラルンプール ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月13日

むしろ、中学時代が気になる

爆発事件の生徒、中学時代は会話も

 山口県光市の県立光高(弘中幸雄校長)で起きた3年男子生徒(18)による爆発物投げ込み事件で、無口で級友とほとんど会話がなかった生徒が中学時代は部活動にも所属し、友人と遊んだり、笑顔で会話したりしていたことが、同級生らの話で13日分かった。


 この記事、一体何なの? 書いた記者の頭の中を疑いたくなるね、本当。
 級友とほとんど会話が無かった事件の犯人の少年が、部活に所属して、友人と遊んだり会話をしたりしていた…それが一体どうした?
 まず最初に言えることは、中学、高校と生徒も教師も環境も全く変わるわけだから、人間関係が変わらないほうがおかしい、ってこと。まぁ、小学校から中学校だと、地域で割り当てられているだけ、ってことも多いから人間関係がそんなに変化しないことも多いだろうけど、受験だとかが間に入る中学から高校に関しては、人間関係が大きく変化するのは当然なんですよね。それを前提としましょう。
 続いて「部活動にも所属し」って部分。これはさ…「部活動に所属しない自由」があった学校かどうかがまず大きな問題ですよね。正直なところ、山口県光市っていう地名はまったくと言って良いほどイメージが沸かないんだけれども、平成12年のデータによれば人口が約5万5千人。近年は、人口が減少傾向にあった、ということを考えると、私の実家の街をもう少し大規模にしたくらいかな、という印象なんですよね。まぁ、そんな街であっても地域差もあるだろうから、一概には言えないだろうけど、そのくらいの場所の中学校なんかだと、お題目として「部活動所属は強制しない」と言っていても、実質的には「強制入部システム」が出来上がっている場所って多いんですよね。「運動は得意ではなかったが、仲の良い部員がいて最後まで続けた」とあるわけですが、私も柔道部員でしたよ。運動は台の苦手だし、仲の良い部員もいた。でも、そんなことが「部活を続けた理由」じゃないもん。単に「やめさせてもらえない」から、仕方なく続けただけだもん。「仲の良い友達がいたから」「部活を続けた」んじゃなくて、「強制入部でやりたくないから」せめて「仲の良い友達がいた」部活に入った可能性だって十分に考えられると思うんですけどね。
 「友人と遊んだり、笑顔で会話したりしていたことが、同級生らの話で13日分かった。」とのことだけれども、言いかえればそれすらなかったと言うのは、相当に追い詰められていた、ってことじゃないんですか? 仮にいじめにあっていたとしても、友達の1人や2人いるだろうし、笑顔やら何やらを見せることだってあるに決まっている。そんなことを強調されてもねぇ…。
 そして、記事の後半、中学時代の同級生がいかにも友人であるかのように書かれているんだけれども、これも私は違和感を持ちました。っていうのは、高校に入って、新しい環境に馴染めなかった場合、違うクラスといえども中学の時の知り合いがいたのなら、その知り合いと多少なりともコミュニケーションを取ると思うんですよね。もちろん、その知り合いを介して新たな友人ができる、なんてこともあるでしょう。ところが、この記事を見ると、1年間、殆ど音信不通の状態という感じに見える。ということは、何が言えるかと言うと、この同級生とはそんなに親しくなかった、場合によっては、(犯人が)嫌っていた可能性さえあると思うんですよね。話しかければ返したのも、嫌々ながら…という可能性も考えられます。

 この記事の論調では、中学時代は普通の少年だったのが、高校に入って一変した、といいたげです。でも、私の感覚とすれば、高校でも何らかの問題はあったんでしょうが、少なくとも中学時代に下地はできあがっていたのではなかろうか、と思えてならないのですが。
posted by まえとも at 15:49| クアラルンプール ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 事件記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月10日

なぜ言い切れる?

逮捕の生徒、初めての遅刻 光高校の教室爆発事件

 山口県立光高校で教室に男子生徒(18)が火薬入りの瓶を投げ込み爆発させた事件で、同校は10日午後に記者会見、生徒は入学以来これまで一度も欠席や遅刻、早退はなく、同日初めて授業前のホームルームの時間に遅刻していたことを明らかにした。
 同校によると、担任は「男子生徒がいじめを受けた状況はない」と説明。県教委も「男子生徒のトラブルの報告はなかった」としている。
 山口県警のまとめで、けが人のうち、入院した生徒は男子9人、女子5人の計14人となった。負傷した生徒は男子が25人、女子32人の計57人で、男子1人は薬指を骨折する重傷。ほかの生徒は軽傷だが、精神的ショックや難聴などの症状があるという。


 この事件を元に、またどっかのコメンテーター様が「現実と空想の区別が…」という妄言をしてくれることが予想されるのですが、まぁ、それは置いておきましょう。この記事を見て、ちょっと気になった点を一つ。
同校によると、担任は「男子生徒がいじめを受けた状況はない」と説明。

 状況を考えてみましょう。まず、事件が起きたのは今日です。事件が起きたのは3時間目。時間割がどんなものか知りませんけど、まぁ、午前10時〜11時くらい…でしょうかね。で、学校が会見をしたのが午後。半日も経っていないわけですよね。何をもって「いじめはなかった」と言い切ったのでしょうか? 私には理解できません。
 まず、仮にいじめがあったとして、事件前に把握していたことは無いと見て間違い無いはずです(把握していたとしても、無かったことにしたはずです)。少なくとも、学校側が何らかのことをしていたのであれば、事件が起きていたとは思えませんし、また、犯人の少年も何らかの言及をしているはずですしね。
 では、事件後に調査をしているか…と言う点に関しても疑問が残ります。「手製爆弾」が炸裂したわけですから、教室にいた生徒・教師などから話を聞く暇は殆どありません。また、あったとしてもちょっと聞いた程度で判明するか…と言われれば甚だ疑問です。少なくとも、生徒から詳しく話しを聞いて、それをじっくりと検証するだけの時間はありません。
 結局、何を持って「いじめはなかった」と言い切ったのでしょう? これを見る限り、「無遅刻・無欠席だった」「トラブルの報告は無い」というだけなんですよね。しかし…これがどの程度の裏づけになるでしょう? 「トラブルの報告」なんて言うのは、本当にいじめにあっていたら普通、言い出せないものです(本人は怖がって言い出せないでしょうし、いじめの張本人が言うとも思えません。第三者だって、それで自分が標的にされる可能性がある限りは言いにくいものです)。私は普段から「濃密な人間関係は良い方向に向かえばとことん良くなるけど、こじれるととことん悪くなる」という主張をしているのですが、学校のいじめなどはその典型だと考えています。「無遅刻・無欠席」だって、家庭環境だとかに大きく依存しますし、それをもって「なかった証拠」とすることはできません。結局、早めの会見で「自分達に非は無い」といっているだけなんですよね。
 勿論、本当にいじめがあったのかどうかは知りません。ただ、客観的に見て、「ロクに調査もしない」状況で、「いじめはなかった」などと言い切ってしまう学校の対処は批判したいと考えます。




posted by まえとも at 21:09| クアラルンプール ☁| Comment(2) | TrackBack(2) | 事件記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月09日

キレる(2)〜主語は誰?〜

 昨日の記事で「キレる」の辞書的な意味を引用しました。「突然怒ったり,見境がなくなることを,俗にいう語」とのことです。さて、この文章を見て思うことがあります。「突然怒ったり,見境がなくなる」と言うのは「誰から見て」なのでしょう? 細かいツッコミに思えるかもしれませんけれども、これって物凄く大事なことだと思うのです。
 よく重大事件などが起きると、犯人の動機などが取り上げられて、「私には理解できません」などというコメンテーターが出てきます。確かに、第三者からは「理解できない」ことでしょう。でも、本人にとっては、極めて理屈通りのことなんですよね。
 これも昨日だした例文なのですが、「あいつは、ちょっとからうとすぐにキレる奴だった」。これを使って考えてみたいと思います。
 これ、誰にとって「ちょっと」なのかと言えば、コメントを述べた本人。つまり、からかった側ですよね。からかわれた側、つまり「キレた」側からすればちょっとじゃないということは多々あるでしょう。コンプレックスに思っていることだとかをからかわれれば誰でも腹が立ちます。(例え第三者から見て、それがおかしくとも)本人がコンプレックスだと感じていれば、それはコンプレックスです。それを突いておいて「ちょっと」もクソもありませんからね。
 現在は、テクノロジーの発達だとかで、価値観だとかは専門化・多様化しているわけですから、第三者がどうこう言うのは難しくなっていますし、今後、どんどん難しくなるでしょう。数年前、実家に置いといた漫画雑誌を親が勝手に処分したことに腹を立てた子供が、親を相手取って損害賠償・慰謝料請求なんて事件ありました。これ、親にとっては無価値でも、子供に取っては極めて大事なものだった、ってことだと思うのですが、これって漫画に価値があるかどうかを争っても仕方の無いことなんですよね(客観的に値段はつけられるでしょうが、意味があるとは思えません)。他人の価値観に客観的評価なんかつけられるはずがないですから。もし、私が親の弁護士をしていたのならば、実家に置いておく(投棄した)なんていう方向性で勧めるでしょうね。
 なんか、大分、話が逸れましたね。
 まぁ、一言で言えば、第三者が見て理解できない事項っていうのは、どんどん増えているっていうことです。第三者から見て理解できない理由で激怒したりすることを「キレる」と言うのであれば、「キレる」人が増えるのは当然だということです。しかし、それは極めて自然なことなのであって心配するようなことではない、という風に思います。
posted by まえとも at 10:46| クアラルンプール ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月08日

変な調査

日本語の語彙力:私大生の19%「中学生並み」

 大学生の語彙(ごい)力が低下していることが、大学、短大の中堅校を対象にした調査で分かった。独立行政法人メディア教育開発センター(千葉市)が実施し、私立大1年生の19%、短大1年生の35%が「中学生レベル」と判定された。補習や授業で「日本語技法」「日本語コミュニケーション演習」などを開講する大学が増えているが、調査はこうした大学側の不安を裏付けた。


 新聞って、本当、こういうの好きだよね。これさ、「不安を裏付けた」っつーよりも、「不安を煽りたてている」って言う方が私は正しいと思うんだけどね。
 このテスト、ハッキリ言ってわけがわかりません。だって、調査方法がどう考えても変ですもん。
 「大学生の語彙力」を調査し、時系列で比較したいのであれば、同じ問題を出して比較すれば良いだけです。こんなわけのわからない方法を取る必要は一切ありません。
 だってそうでしょ?
 中高生の成績を基準にして大学生の点数を数値化するって偏差値計算ですよね。98〜00年というのがどういう調査方法なのか知りませんけれども、04年の大学の新入生の基準が02年の中高生ということを考えると、00年の大学の新入生の基準が98年の中高生という風に見るのでしょう。…となると、基準がまず別ですよね(笑)。 98年の中高生を基準にした00年の大学生の偏差値と、02年の中高生を基準にした04年の大学生の偏差値を比較してどうするんでしょ? 例えばこれ、大学生の平均点は前回と今回も同じだけれども、中高生のレベルは前回より今回の方が高かった…なんて可能性も考えられるわけですよね。
 そもそも、この方法を使えば、大学生の偏差値が下がるのは当たり前のことなんですよね。だって、大学やその学部・学科の数自体は少子化にも関わらず増えつづけているわけですから。大学進学率なども高くなりつつあります。仮に学力が同じだとします。中学は義務教育、高校も100%近い進学率があります。一方、大学は進学率がどんどん高くなっています。進学率が高くなる、ということはこれまで大学に入れなかった学力水準の人も入るようになった、ということですから大学生の平均点は下がります。そうなれば、大学生の偏差値が下がって当然なんですよね。むしろ、この状態で大学生の偏差値が上がった、というのは、大学生の語彙力が上がった、というよりも、基準となった中高生のレベルが下がったことを心配すべきではなかろうか…すら私は思うのですが…。
 勿論、こういう調査においては、学校のサンプリングだとかも考える必要があります。その辺りまで考えると、到底、信頼するに値しない調査だと私には思えてなりません。




posted by まえとも at 18:25| クアラルンプール ☁| Comment(3) | TrackBack(1) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

キレる〜「キレる」という言葉の意味について〜

 最近…というか、ここ数年、私が興味を抱いている言葉の一つに「キレる」という言葉があります。少年犯罪による重大犯罪が起きるたびに「キレる」がキーワードとして出てきます。しかし…そもそも「キレる」って何なのだろうか? と。
 辞書によると、「キレる」とは「突然怒ったり,見境がなくなることを,俗にいう語。」とのこと。ただ、普段、喋りの中で使われるときって、もっと広いと思うんですよね。
 例えば、事件報道などで「同級生の談話」なんて言う時に、「あいつは、ちょっとからうとすぐにキレる奴だった」なんてのが出てきます。また、学校なんでか「宿題忘れたら、先生がキレちゃって…」なんて感じで。でもこれって別の言葉で置き換え可能ですよね。
 前者に関しては、「あいつは、ちょっとからかうとすぐにムキになる奴だった」とか、「すぐに怒り出す奴だった」となると思います。後者は「宿題忘れたら、先生が激怒しちゃって…」などがそうでしょうか。 辞書通りの意味だとは思えないのですが…。少なくとも、私だったら、すぐに見境無く攻撃に移るような奴をからかったりは怖くてできません(笑) また、宿題を忘れた生徒に教師が激怒することもまったくおかしな話ではありませんよね。
 「キレる」っていう言葉、使う人によってかなり範囲が大きいような気がするんです。ちょっと腹を立てる、とかも「キレる」と言う人は多くいますからね。ちょっと腹を立てたことを「キレた」と言った人の言葉を、上の辞書通りの言葉の意味で捉えるのは物凄い誤解を与えるわけですよね。言葉の定義がハッキリしない、定義が人によって異なるために「最近の若者」なんかを語るときに極端な使い方がされてしまうようになったのではなかろうか、という気がしてなりません。

 まぁ、このテーマに関しては、もうちょっと色々と御託を並べたいので続く(笑)




posted by まえとも at 08:50| クアラルンプール ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月31日

お上の対応に注目

NHK今度は集金スタッフが下着ドロ…相次ぐ現場不祥事

 NHK静岡放送局の男性営業地域スタッフ(59)が、静岡県函南(かんなみ)町で主婦(26)の下着を盗み、窃盗の現行犯で静岡県警三島署に逮捕されていたことが30日、分かった。受信料の集金に訪れた家のベランダから盗んでいた。NHKは一連の不祥事で、受信料不払いが74万件超と苦しい状況が続いているが、またも“現場”での不祥事が発生し、関係者はため息をつくばかりだ。


「購読しろ」押し売り2時間=朝日新聞販売店員を逮捕−千葉

 新聞購読契約を2時間以上しつこく迫ったとして、千葉県警生活経済課と千葉西署は30日、特定商取引法違反(禁止行為)容疑で、千葉市花見川区幕張町、朝日新聞販売店員鈴木淳容疑者(32)を逮捕した。容疑を認めているという。
 調べによると、鈴木容疑者は5月3日午後8時50分から11時ごろまで、県職員の男性(35)の住むアパートの玄関先で、同新聞を購読するよう強引に契約を迫った疑い。
 男性が「新聞はいいです(要らないです)」と断ると、「ありがとうございます」と応じて揚げ足を取り、「ごみになる」と言うと「ごみとは何だ」と怒鳴っていた。
 契約しなかったのに翌朝、新聞が配達され、男性が交番に相談した。
 

上の記事は、今朝のワイドショー(ニュース?)番組でやっていたのて見つけた記事。下の記事は、昨日、Yahooを見ていて見つけた記事。どちらも、マスコミの下部組織で起きた事件と言って良いと思います。これを見て、上がどう対処するかに注目したいですね。
 まぁ、NHKの方はテレビ(ラジオ)なので、その場を見逃してしまえばあとはわからないのですが、少なくとも上の記事を見る限りは「NHKという組織の問題」として扱っているように感じます。また、時間はわかりませんが、ちゃんと放送に載せて謝罪したことも評価して良いでしょう。
 一方、朝日新聞の方は、こちらのようにWEBに載せ、本紙の方にも同じ内容が載っています。しかし…社会面の片隅にベタ記事で載っているだけなんですよね。本紙だけの人は、本当に隅々まで目を通さないと気づかないでしょうね。そして、会社のコメントも「取引先である販売所の従業員」と言うように、あくまでも「別個の組織」をアピールしているわけです。現実には、片務的な契約によって実質的に本社がコントロールできる状況にある。そして、新聞社からのノルマという辺りで、個人的な性癖の問題と言えるNHKの下着泥棒とは全く別の組織的問題も見えてくるにも関わらず。
 勿論、私はNHKの方は自分で確認しておらず、記事の抜粋部分だけでの判断なので不公平という指摘はその通りです。ただ、それを鑑みても両者の対応は大違いだと思うのは、私だけでしょうか?




posted by まえとも at 06:48| クアラルンプール ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 事件記事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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